遠野

柳田国男/作 唯是震一/作曲


T章「神隠し」U章「夫鳥」V章「塩へしり」

この曲は、柳田国男の遠野物語から3つの話を取り出して1977年に作曲されたものです。

私は高校生の時に柳田国男の「山の人生」を読み、その飾り気のなさに惹かれました。
それから「遠野物語」へと興味は進み、淡々と事実を描写してゆくばかりなのに伝わる迫力は一体どこからくるのだろうと不思議な読後感を持ちました。まだ大人になりきれない私に、おぼろげながら「生きる」事を感じさせてくれた文学作品だったのです。大人になって曲になっていると知った時はまず驚き、それが三絃での弾き歌いだったことで、ぴったりとはまってしまったのです。まだ公刊楽譜にもなっていない時に、快くCD収録を許してくださった唯是震一氏に心から感謝しています。


歌詞  遠野 (「遠野物語」より) 柳田国男/作

T 神隠し

たそがれに、女や子どもの家の外に出ているものは、
よく神隠しにあう。
松崎村の寒戸というところの民家にて、若き娘、
梨の木の下に草履をぬぎ置きたるまま、
行方を知らずなり、三十年あまり過ぎたりしに、
或る日親類知音の人々、その家に集まりてありしところへ、
きわめて老いさらぼいてその女帰り来たれり。
いかにして帰って来たかと問えば人々に会いたかりし故帰りしなり。
さらばまた行かんとて再び跡をとどめず行き失せたり。
その日は風の激しく吹く日なりき。

U オットン

(鳥の鳴き声/ 「遠野物語」には「夫鳥」の章がある。
人目を避ける若い男女が山で迷い相手を失った女が
捜し求めるうちに鳥になったという。)

V 塩へしり

昔あったずもな
遠野の城山の多賀神社の狐が市日などには
魚を買って帰る人をだまして持っている魚をよく取った
いつもだまされる綾織村の某
ある時塩を片手につかんでここを通ると
家で留守をしているはずのばぁさまが
あまり遅いから迎えにきた どれ魚をよこしもせ
おら 持って行くから と手を出した
その手をぐっと引いてうむをいわず
口に塩をへしこんで帰ってきた
その次にそこを通ると山の上で狐が言った
塩へしり どんと晴